安徽省で発生した「手足口病」。報道管制下、アリバイづくりに当局は終始。四川も同じ轍。
2008年8月号 GLOBAL
死者6万9千人、行方不明1万8千人、被災者4624万人(7月10日現在)を数える大災害となった中国の四川大地震。あの凄まじい破壊と生き埋めの遺体の多さから想定されるのは、疫病の大々的な発生である。地震が発生した5月12日以来、連日の大雨に加え、30度を超す猛暑が続いたのだ。疫病が蔓延する条件はそろっている。なのに、中国のマスコミから被災地域の疫病情報はほとんど伝わってこない。
人気の高いポータルサイト「新浪網」を開いてみればいい。よく使われる震災関連のニュース・キーワード(新聞関鍵詞)の項目で「義援金」「廃墟」「学校倒壊」などの言葉はすぐ目に付くが、「疫病」は影も形もない。検索エンジンの「百度」で震災や疫病のキーワードを検索してみると、専門家の談話ばかりで、記事はひとつもないのだ。
下手をすれば暴動すら起きかねないだけに、疫病情報は中国では「知らしむべからず」が原則らしい。それでも例外はあって、上海発行の人気夕刊紙「東方早報」が6月6日に掲載した記事がその例だ。もっとも大地震の打撃を受けた「北川県では蚊が一匹もいない」という見出しで、同紙カメラマン趙昀が書いた現地ルポだった。中世欧州で猛威をふるった黒死病を思わせる記述がある。
「この死んだ都市を半日ほど歩いた。最初の恐ろしさが徐々に消え、異臭と消毒水の匂いに慣れてきた。防疫チームの撒いた消毒剤はあまりにも多かったためか、ここには蝿も蚊もいないのだ」
たったこれだけでも、水も漏らさぬ報道管制を奇跡のように潜り抜けてきたのかもしれない。
実は四川大地震前の3月にも、長江流域の内陸省である安徽省阜陽市から広がった疫病があった。EV71ウイルス――俗に「手足口病」。本来、命を奪うほどの病ではないが、お座なりな警報と情報秘匿で多数の犠牲者を出してしまったのである。
3月28日、阜陽市人民医院の重症病棟によく似た病状を示す2人の幼児がほぼ同時に入ってきた。呼吸困難で、痰の色が薄いピンク。普通の肺炎にはない症状だ。2人とも病状が急速に悪化し、しばらくして死亡が確認された。
担当医の劉暁琳は困惑した。疑念が頭をもたげる。もしかすると、これは手足口病ではないか――。翌日、劉医師は病院に報告し、阜陽市衛生庁が全市の児童専門医を呼んで症状を調べ、31日に安徽省の専門家にも阜陽市に来てもらった。
ここで診断結果を出したらいいのに、病原がEV71という結論は、ほぼ1カ月後の4月23日まで待たなければならなかった。阜陽市政府が常にマスコミに強調するのは、迅速に上部機関に報告したということ。報告さえすれば、あとは国の責任だからだ。しかし死亡した児童から採取した標本が国家疫病防止センターウイルス研究所に届けられたのは4月18日。この遅れに市は触れたがらない。3月31日に阜陽市を訪れた安徽省の専門家に、なぜ国への標本提出を言い出さなかったのか――。今となっては藪の中である。
4月1日正午、阜陽市の張玉英は、孫の沙香茹ちゃんが高熱を発しているのに気づいた。解熱の注射と点滴をしてもらったが、午後2時ごろ、手と足に米粒のような発疹が出た。午前2時に沙ちゃんが起きてトイレに行く。夜明け前の4時ごろ、また高熱が出て救急車で人民病院に運ばれ、5時ごろに薄いピンク色の泡が口から溢れた。呼吸も速まり、8時には呼吸が停止したという。
唐突な孫の死。張は納得できない。カルテを見せてもらったが、病名が書かれていなかった。病院側は「手は尽くした。似たような症状ですでに5人の児童が死亡している。沙ちゃんは6番目だが、異例ではない」と答えた。省の専門家も出張してきたが、病因を特定できなかった。
4月に入り阜陽市で疫病の噂が広がりだした。「子供SARS(重症急性呼吸器症候群)」「子供がかかる鳥インフルエンザ」「手足口病」などと囁かれたのだ。地元安徽省のマスコミは沈黙していたが、広東省など民間メディアが発達した地域の記者たちは、風説を耳にして取材に来た。「子供の命を奪う怪しい病気」という話もインターネットに流れている。
安徽省の地元新聞はこの風説に反論する。4月15日、阜陽市の全紙に「市病院の子供専門医が最近の呼吸関係の病気に関して記者の取材に答える」という記事が一斉に掲載された。専門医の名も記者の署名もない奇妙な記事である。
「確かに数例の呼吸疾患による子供の死亡があったが、重症肺炎であり、患者家族間の伝染はなく、それ以外の新たな患者も現れていないので、まったく心配は要らない」
だが、巷の噂は消えない。病死した児童の数は日毎に増えていく。とうとう新華社通信が「阜陽市では、手足口病ウイルスに感染した18人の児童が死亡した」と全土に報道した。4月27日のことだ。
安徽省衛生庁のウェブサイトは何食わぬ顔で「疫病が発生してから党委員会と政府は重大事と受け止め、衛生部(日本の厚生労働省)と省衛生庁は、迅速に専門家グループを阜陽市に派遣し、病の究明、児童の救急に全力を挙げている」と書くだけだった。実はこれ、防疫の呼びかけというより警報だった。
この衛生庁サイトはしかし、どれだけ読まれていたのか。本誌記者も含めて6月7日現在、アクセス数はたった2037回。警報なら地元紙全紙に載せればいいのに、ほとんど誰も見ないサイトに載せてアリバイづくりをしたかに見える。
4月28日、広州市の「南方都市報」は「街に子供の数はまばらで、一部の市民は幼児を農村か他の市にいる友人の家に疎開させている。教育局の許可を待たずに一部の幼稚園は休みに入っている」と書いている。抗菌剤と消毒剤は値上がりし、やがて手に入らなくなった。
安徽省衛生庁スポークスマンの馮立中は弁明する。「我々は手足口病をたいへん重大視しており、上部機関に報告すると同時に、病因の究明に努めた。今から振り返ると、確かに結果が出るまで時間がかかったが、我々にとっては最速だった」
「情報秘匿なんかまったくない」と断言する馮は、専門医の名も筆者名もない4月15日の奇妙な記事については多くを語りたがらなかった。彼は「疫病の発生については、やはり我々はまず党系の新聞に公表しなければならない」と隣省江蘇省の人気大衆紙「現代快報」に答えている。おそらく衛生庁のサイトと同じく、党の機関紙があまり読まれていないことを知っていたのだろう。
「これ以上、阜陽市の醜聞を外に出したくないとばかり考えているのだろう」と「南方週末」編集委員の林楚芳は言った。鳥インフル、毒ミルク、汚職官僚への死刑判決……と阜陽はスキャンダル続きなのだ。
北京にある協和医科大学公共衛生学院の学長で疫病専門家の黄建始は「SARS対応の教訓を十分消化しないうちに、EV71がきた。疫病情報を秘密にすることは愚かだが、まだやっている」と批判、阜陽市を「氷山の一角」と見ている。
四川大地震でも、乏しい疫病情報がその説を証明する。(敬称略)