巧みな「騙し」が生む酩酊感

映画『シャッター アイランド』

2010年5月号 連載 [IMAGE Review]
by K

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映画『シャッター アイランド』

映画『シャッター アイランド』(東京・TOHOシネマズ スカラ座ほか全国で公開中)

監督:マーティン・スコセッシ/出演:レオナルド・ディカプリオ、マーク・ラファロほか/配給:パラマウントピクチャーズ

精神を患った犯罪者を収容する絶海の孤島での出来事を描いた『シャッター アイランド』は、人間の脳内の白夜と闇の世界をさまようような酩酊感に襲われるミステリー映画だ。謎解きは虚々実々、見終わっても真相は判然としない。しかし、真相が何であれ、人間性とは何か、人間には何が許されているかを根底から問い詰め、問題意識は深い。

白い霧の中から船の影が浮かび上がる。米国ボストンの沖合の切り立った断崖のシャッター島にあるアッシュクリフ病院。女性患者失踪事件の捜査のため、連邦保安官のテディ(レオナルド・ディカプリオ)と新しい相棒のチャック(マーク・ラファロ)が船で島へやってくる場面で始まる。1954年9月、冷戦真っ只中の時節だった。

病院の医長コーリー(ベン・キングズレー)から事情説明を受けたテディらは、患者たちへの聞き込みを開始する。実はテディの真の目的は、最愛の妻を失ったアパート火災事件の放火魔レディスが病院に収容されていると伝え聞き、自ら制裁を加えることだった。しかし、探りを進めるうち、島におびき寄せられたのではないかという疑惑を抱き始め、物語の様相は次第に反転していく。

テディの脳裡を離れない記憶があった。一つは第二次世界大戦で欧州に従軍、ナチスのユダヤ人収容所を解放した時の出来事だ。無惨な死に追いやられた無数の遺骸が横たわり、幼い少女の幻影が、なぜ助けてくれなかったの、と呼びかける。もう一つは、妻と子供の死。それがトラウマのように繰り返し現れてテディを苦しめる。

南北戦争の頃の古風な建物、廃墟の灯台、洞窟など舞台はゴシック的趣味にあふれる。謎は次々に連環していって膨らみ、緊迫感を持続させる手法は巧みだ。ソ連に対抗するという大義名分を掲げて、人間をマインドコントロールするため、ナチスの犯罪を繰り返すような生体実験が実際に行われていたのか。島で没した無名の患者の墓碑に「ここに眠る我々も笑い、人生を生きた」と記されているのが人間存在の哀しさを感じさせる。

原作はデニス・ルヘインのミステリー小説(2003年)。監督は『ディパーテッド』でアカデミー賞を受賞したマーティン・スコセッシで、アカデミー賞コンビのディカプリオが複雑な心理表現を巧妙にみせている。日本での上映に際し、幅広く観客の意見を汲んで作ったという「超日本語吹き替え版」も効を奏している。

この映画を見て、先日ポン・ジュノ監督の韓国映画『母なる証明』で感じた疑念が再び頭に浮かんだ。同作品では、ウォンビン演じる知恵遅れの息子が逮捕される女子高生殺害の現場という重要場面を、局限的な映像でしか見せていない。そのため最後のどんでん返しで、逆に騙されたという否定的感情が残った。観客は画面に対し、神のように全能な視点を持って眺めるのが正攻法ではないかと思うからだ。これに対し『シャッター アイランド』の映像は、テディという人物の心に生じる記憶として視点の一貫性がある。後から加える映像が前の映像の文脈を変えることができる。どうせなら上手く騙されたいものである。

   

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