創業「加藤一族」へ世襲復活/「岡三証券」の道険し

創業家の力が強いこともあり、他の競合証券や銀行との合従連衡の見込みも少なく、じり貧状態。

2024年11月号 BUSINESS
by 高橋克英(マリブジャパン代表)

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東京・日本橋の旧本店ビル

岡三証券グループ傘下の岡三証券は、野村、大和、SMBC日興、三菱UFJモルガンスタンレー、みずほの5大証券会社に次ぐ、準大手証券の一角を占めている。岡三証券は、かつては、新日本証券、和光証券とともに、興銀系証券と言われていたが、現在では「独立系準大手証券」と呼ばれることが多い。

その岡三証券が、今年9月、銀行サービス「岡三BANK」の提供を開始した。

岡三証券自らは銀行免許を持たず、GMOあおぞらネット銀行のインフラを利用し、金融サービスを主にスマホなどで提供する、いわゆる「ネオバンク」の形をとっている。

グループ内に銀行があれば、預金など顧客の資産データなどをマーケティングに活用し、岡三証券との連携による金融商品販売も可能になる。また、預金金利の優遇などにより、個人のメインバンクとして長期的な顧客の囲い込みも期待できる。岡三BANKの口座開設により、専用スマホアプリから岡三証券の証券総合口座への手数料無料での振込、普通預金や定期預金などの銀行サービスが利用できる。今年末までは開業記念特別キャンペーンとして、500万円以上の投資信託の購入などを条件に、3カ月間、定期預金金利を年率10%とする大判振る舞い中だ。

「4代目」へ世襲復活か

野村証券を擁する野村ホールディングスは、傘下の野村信託銀行の活用を打ち出し、大和証券を擁する大和証券グループ本社は傘下の大和ネクスト銀行に加え、今年5月にはあおぞら銀行と資本業務提携を結び、同銀行の筆頭株主となっている。SMBC日興証券、三菱UFJモルガンスタンレー証券、みずほ証券に至っては言うまでもなくメガバンクグループの一員であり、度々ファイアーウォール規制違反が起きるほど、銀証連携に積極的だ。

準大手クラスでは、東海東京が、合弁証券子会社を通じて横浜銀行やほくほくFG、西日本シティ銀行など親密な大手地銀を多くもち、松井証券は、住信SBIネット銀行と組んで一足早く2023年10月に、ネオバンクとして「MATSUI Bank」を立ち上げている。NTTドコモの連結子会社となったマネックス証券と新たに誕生するとされる「NTTドコモ銀行(仮)」との連携も期待されている。

このように、同業他社が銀行機能を強化するなか、岡三も対抗して銀行機能の強化を打ち出してきたのだ。

岡三証券は1923年4月、三重県津市にて加藤清治が岡三商店を創業したのに始まり、1961年には32歳の若さで長男の加藤精一が2代目社長に就任し、半世紀以上にわたり同社の社長、会長の座にありながら、同社を地方証券会社から準大手証券の一角に押し上げた。

90年代に入り、バブル崩壊と損失補てん事件などで大手・準大手証券が軒並み業績を悪化させ、破綻や再編が相次ぐ中、岡三証券が単独で生き残れたのは、加藤精一会長の方針のもと、握りや飛ばし、系列ファイナンス会社を通じた不動産投資などを行わず、堅実経営を貫き、リテール営業に徹したからだという。不良債権問題など金融危機真っ只中の1997年には、加藤哲夫が3代目社長に就任している。

当時、証券会社は、大手4社、準大手は10社あったものの、破綻や合従連衡などで、今も単独で残っているのは、野村、大和の大手2社と岡三だけだ。

2003年には、持株会社体制へ移行するなど、組織改革が進む中、岡三証券グループ及び岡三証券は、3代目社長の加藤哲夫が退いた06年以降は、プロパー出身のトップが占めるようになった。しかしながら、創業家による世襲復活を目指す布石は着々と打たれているようだ。

創業家4代目となる加藤清也は、若干35歳ながら、加藤家の血筋を引き継ぐサラブレッドとして帝王学を学びながら、キャリアを着実に歩んでいる。

慶應義塾大学経済学部卒業後、アリゾナ州立大学 MBA、ペンシルベニア大学行動経済学修士課程を修了している。また、1970年から続くスイスで最も古い国際シンポジウム「サンガレン・シンポジウム」に日本代表として2年連続参加したという。

2015年に岡三証券入社。株式ストラテジストや債券ディーラーなどを経て、19年に人事部門主事。ピクテ(ジュネーブ本社)、NRI アメリカ(ニューヨーク)、メッツラー(フランクフルト本社)など錚々たる世界的なプラチナ企業への出向を経て、現在は、岡三証券グループ傘下で名古屋に本社を構える三縁証券の執行役員を務める。また、創業地である三重県津市にある公益財団法人「岡三加藤文化振興財団」の理事にも名を連ねている。

いずれは、4代目の加藤清也が、岡三証券本体に戻り、理事や取締役として主要な業務を統括したのち、創業家として岡三証券グループのトップを担うことを期待されているのだろう。

この先も「じり貧」が続く

系譜をたどると、創設者の長男である加藤精一が、2代目社長として岡三証券(証券業)を継ぐ一方、次男の加藤英治は、岡藤商事(商品先物取引業)を継いでいる。

その後を加藤英治の長男の加藤雅一が、岡藤ホールディングス及び岡藤商事の経営を担ったものの、放漫経営と相次ぐ訴訟沙汰もあり経営が悪化し、最終的には、2022年9月に、岡藤商事は解散および清算という末路をたどっている。

一方で、岡三証券は、創業家一族により、幾多の金融危機を「堅実経営」とリテール中心で生き抜いてきた。岡三証券の預り資産残高は、7兆3902億円、うちリテール預り資産残高は6兆6156億円を占める(2024年6月末)。28年3月までの5年間で、預り資産10兆円、ROE8%、総還元性向50%を目指している最中だ。しかし、そもそも預り資産10兆円は、創業100周年を迎えた23年4月までに達成する目標だったものだ。

未達の理由は、やはりネット証券への顧客シフトが急ピッチで進んでいることが大きい。「SBI証券や楽天証券のほうが、早くて安くて便利、商品ラインナップも豊富で、しかもポイントまで溜まる」という利用者の声は高まる一方だ。

ネット証券とは違い、岡三は、対面サービスに強みがあるという。確かにリサーチ部門には定評がある。例えば、興銀出身で岡三証券グローバル・リサーチ・センター理事長・エグゼクティブエコノミストを務めた高田創氏が、22年7月より日銀審議委員を務めている。

もっとも、岡三の営業員が、野村証券や大和証券や今はやりのIFA(独立系フィナンシャルプランナー)以上に、マーケット分析力、コンサルティング力、セールス力などに特段長けているわけでもない。

ネット取引・若年層・銀行機能の取り込みが証券会社にとって、更なる成長のカギになるなか、岡三証券では、冒頭の「岡三BANK」の設立に加え、2022年には06年に設立した岡三オンライン証券を岡三証券と経営統合させたり、25歳以下の顧客の「各種取引手数料」を実質無料化したりと手を打ってはいるものの、決定打にはなっていない。

大手証券と違い、法人ビジネスや投資銀行ビジネス、海外ビジネスといった他の大きな収益源を持たない岡三は、SBI証券や楽天証券などネット証券の国内リテール金融での影響をより大きく受けることになる。

「独立系準大手証券」としてネット証券化や、大手の傘下入り、非上場化など余程抜本的な経営決断をしない限り、この先じり貧状態が続くことになりかねない。

(敬称略)

著者プロフィール

高橋克英

マリブジャパン代表

   

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