ライバル紙、地方紙から「できる記者」を次々とハンティングしていた朝日。いつの間にかエース記者に見切りを付けられる新聞に凋落。
2024年11月号 DEEP
9月29日から朝日新聞でネット上で増えるフェイクニュースを追った連載企画が始まった。その企画を主導したサイバーセキュリティー専門の須藤龍也編集委員が10月1日に日本経済新聞に移った。メディア業界で有数のサイバー専門記者が同業他社に引き抜かれた。新聞もデジタル版が主流になってくるとコンテンツの質が厳しく比較される。腕利きの記者の争奪戦が始まっているのだ。
須藤氏は1973年生まれで94年に技術職として朝日新聞に入り、新聞制作のシステム開発などに従事し、99年から記者に転じた変わり種。東京社会部や特別報道部などを経て2016年から編集委員を務めている。
小学4年生の時にパソコンに出会い、以来自らプログラムを書いてきた。
記者に転じた90年代後半はインターネットの時代が到来し、サイバー犯罪も増え始める。専門知識を持ち合わせていない多くの記者ではどう取材すればいいのかも分からない。須藤氏の専門知識が発揮できる時代となったのだ。
2021年の新聞協会賞受賞作は、LINEの情報管理の不備を報じたスクープだった。峯村健司編集委員(現青山学院大客員教授)や須藤氏らの取材チームの成果である。
チームが入手した日本語、英語、韓国語のLINEの内部文書は専門用語が多く難解だった。それを読み解き、情報管理の杜撰さを指摘するには須藤氏の専門知識が必要だった。
須藤氏はその後も次々とサイバー犯罪の記事を特報した。ハッカーたちの手口を知り、時には彼らとも接触し、取材をして事実に迫る、言わば「ホワイトハッカー」として活躍した。
サイバー空間が急膨張した2000年前後に須藤氏を記者職にした当時の朝日新聞幹部の判断は先見の明があったといえる。
だが近年は須藤氏を取り巻く社内環境は変わってしまった。
須藤氏が属していた社会部内では警察や検察の捜査情報を元に記事を書く記者が幅を利かす傾向が強まっているという。須藤氏のように自分の知識を生かして事実を掘り起こして書いた原稿は「リスクが高い」と見られるようになり、紙面化が後回しにされることが多くなったようだ。
そうした朝日新聞社内の変化も須藤氏が朝日を見切った理由だとみられている。
角田克社長は「もっとジャーナリスティックに行きましょう」と社内メーセージで呼びかけたが(弊誌9月号)、社内では額面通りに受け止められてはいない。ここ数年、社外活動への締め付け強化などに嫌気が差した記者たちが増えている。今年になって日経には複数の朝日記者が入社を希望したという。須藤氏のように力のある記者が退社する動きが今後続くに違いない。
新聞記事がデジタルで配信されるようになると、SNSなどでリアルタイムで評価され、ページビューにも差が出る。それが有料会員や広告収入の増減に直結する。つまりは記事コンテンツの質こそがデジタル版の収益を支配する。優秀な記者の争奪戦は新聞社に止まらず、テレビやウェブメディアを巻き込んだ戦いになる。
かつて朝日新聞には優秀な新人記者が集まった。しかし就職希望ランキングで業界トップから滑り落ちて久しい。新入社員だけではなく優秀な中堅・ベテラン記者からも袖にされる事態になると朝日の行く末は危うい。
朝日の幹部が「須藤はそれほど優秀な記者ではなかった。いなくなっても問題はない」と嘯いているという。現状認識の甘さには驚くばかりである。