戦略子会社を無理やり潰した小澤常務は、セクハラで突如辞任した青山副社長と並ぶ三部社長の側近中の側近。
2025年5月号
BUSINESS
by ジャーナリスト・大西康之と本誌取材班
小澤学戦略本部長
今年3月、あるホンダ子会社の解散が決まった。ホンダのような大企業で子会社の一つや二つが消えても驚かない。だがその会社が、「100年に1度」と言われる自動車産業の大変革期に「ホンダの次世代モビリティサービスを担う」役割を負っていたとなれば話は別だ。おまけに当該子会社の社員からは「解散理由が不透明」「説明不足」と批判の声が上がっている。日産自動車との「統合破談」では、日産の経営陣に批判が集中したが、ホンダもまた内部に深い闇を抱えている。
業務を停止するのは2020年に設立したホンダモビリティソリューションズ(HMS)。ホンダの100%子会社だ。設立の目的は「自動運転モビリティサービスや、ロボティクス・エネルギーなどを組み合わせた新しいサービスを提供する」こと。自動車産業の未来とされる「自動運転」や「カーシェア」に取り組む戦略子会社である。
翌21年、ホンダはゼネラルモーターズ(GM)が出資する自動運転ベンチャーのGMクルーズホールディングス(クルーズ)と、日本における自動運転モビリティサービス事業に向けた協業を行うことで基本合意した。21年中に、GMが韓国LGグループと共同開発した電気自動車(EV)「Bolt」をベースとしたクルーズの試験車両を使って日本国内での自動運転の技術実証を始め、将来は3社で共同開発している自動運転モビリティサービス事業専用車両である「クルーズ・オリジン」を日本で走らせる。そんな壮大な計画の中、ホンダ側でこの事業の運営主体になるのがHMSだった。
八郷隆弘社長(当時)はこんなコメントを残している。
「今回の取り組みは、『すべての人に生活の可能性が拡がる喜びを提供する』という2030年ビジョンで掲げる『移動』と『くらし』の新価値を創造するものです」
HMS がホンダにおいて、いかに重要な役割を担っていたかが分かるだろう。自動車産業は「ガソリン車を作って売ること」から「電気自動車(EV)」「自動運転」「カーシェア」の組み合わせで、新しいモビリティサービスの提供に変化する100年に一度の大転換機を迎えている。その中でHMSはホンダの構造転換を担うはずだった。
次世代モビリティという新たな領域に踏み込むため、HMSは外部人材を積極的に登用した。リクルート、ウーバー、マイクロソフト、DeNA、NTTドコモ、三菱商事、伊藤忠、国土交通省のほか、大手コンサルティング会社、大手金融機関など様々な会社から人材が集まった。50人弱の社員のうち、7、8割は転職組が占めていた。その中の一人はHMSに転職の理由をこう語る。「挑戦者のイメージが強いホンダが、3千億円を投じて『新しいモビリティサービスを作る』とぶち上げたわけですから、面白くないはずがない。自分もその挑戦に加わりたい、と思いました」と。
HMSの初代社長、高見聡氏は雑誌のインタビューで「HMSをホンダの究極の出島にしたい」と語っている。「出島」とは江戸幕府が長崎に作った人工島で、鎖国政策の例外として西欧諸国との交易が許され、外国人が居留していた場所だ。国を閉じていた日本が諸外国の知識や文化を取り込む唯一の場であり、転職組はホンダに新たな知見をもたらす「外国人」だった。
出島のお取り潰しがHMS社員に伝えられたのは3月上旬のことだ。6月に活動を停止し9月には会社清算の手続きに入るという。書面でホンダに問うと以下の回答があった。
<解散は事実ですが、具体的な時期については回答を差し控えさせていただきます>
HMS解散の引き金になったのは、GMが発表した24年12月のロボタクシー(自動運転タクシー)開発からの撤退だ。GMは全クルーズ株を買い上げ、今後はGM単体で自動運転向けのソフトウエア開発に注力する。GM、クルーズの自動運転事業は赤字が続いており、GMは24年10~12月期にロボタクシー事業撤退で5億ドル(約770億円)の費用を計上した。GM側のホンダも方針転換を余儀なくされた。
GMのロボタクシー開発撤退とHMS解散の関係について問うと、ホンダはこう回答した。
<GM社のクルーズ株式の買い取り完了により、クルーズ社の位置付けが変わることが正式に決定した為、GM、クルーズと検討してきた日本での自動運転タクシーサービスを26年初頭に開始する予定でしたが、事業検討中止を判断しました>
転職組にとっては寝耳に水の決定だった。何せ今年の2月にはHMS設立5周年の式典があり「これからも頑張ろう!」と気勢を上げたばかり。その1カ月後に「会社解散」である。
自動運転に関しては要素技術を持つGM、クルーズ側が撤退を決めたため、ホンダとしても事業の白紙化は致し方のないところだったかもしれない。しかしHMSは自動運転以外にも、カーシェアの「Every Go」や、法人向けEVバイクの長期レンタル事業など、モビリティの未来を先取りする様々なサービスを手掛けている。また、Every Goの利用者はこの数年で2万人から11万人に増えており、EVバイクのレンタルでは、新聞配達で原付バイクを使っている新聞販売店が顧客となり、原付からEVバイクへの転換を進めているところだった。
HMSを解散した後、すでに顧客がついているサービスはどうなるのか。ホンダに問うと、こう回答した。
<Every Goについてはホンダセールスオペレーションジャパン、EVバイク長期レンタルはHMJへ移管を予定しております>
三部敏宏社長
事業は別の子会社に移管してサービスは継続する方針というが、これらのサービスをゼロから立ち上げてきたHMSのメンバーは「サービスを継続するのに、なぜ、従業員は退職を余儀なくされるのか」と憤る。
HMSの実態を知らない首脳陣が「自動運転がなくなったのだから不要」と、三部敏宏社長に近いコーポレート戦略本部長の小澤学執行役常務に命じたと囁かれる。小澤氏は三部社長の2年下の1989年入社で、人事部長などの管理畑を歩み、2020年に経営企画統括部長に就任した。
ホンダは歴代社長が本田技術研究所の出身で、本社部門より開発や生産の現場が強い。研究所は創業者の本田宗一郎氏の主導で創設され、長年、独立性が高いとされてきた。だが2019年には研究所の二輪事業開発部門が本社と統合され、20年には四輪車の開発部門も本社の四輪事業本部に統合された。
失脚した青山真二副社長
研究所から本社、エンジニアから事務方へと権力がシフトする中で頭角を現したのが小澤氏だ。21年以降の三部体制では、二輪事業出身でアジアや北米事業を担当してきた青山真二副社長とともに、社長の側近に収まった。小澤氏の担当はアライアンスや新規事業で、この中には日産との統合交渉やHMSが含まれる。だが、社内には「小沢常務は管理畑のため新しい事業を生み出した経験は無く、人事知識を活かした違法擦れ擦れのコストカットやリストラが得意。上しか見ず現場を顧みない戦略本部長が戦略子会社を潰した。まるで悪魔のようだ」と酷評する向きも。ホンダは日産同様、労働組合が強いことで知られるが、HMSは労組に加盟していない。人減らしが天職の小澤氏にとっては、手頃な獲物だったかも知れない。
「モビリティを通じて、世の中を変えていきたいという熱意があるかどうかを重視している」
人事部長だった2013年、小澤氏は新聞のインタビューでこう語っている。だが言葉とは裏腹に「ホンダの旗の下で新しいモビリティ社会を作りたい」と多士済々が集ったHMSを解散する。ホンダからの出向者は本体に復帰する一方、転職組に対してはホンダ・グループへの再就職を斡旋しているが、新しいモビリティの夢を描けるような事業戦略や魅力的なポストの提示も無く、大半の人がホンダを去るという。
取材を進めていた4月7日、思わぬニュースが飛び込んできた。青山副社長が突如辞任したのだ。「業務時間外における懇親会の場で不適切行為を行ったとの訴えを受けていること」が理由だという。エンジニア出身の三部社長を支える側近中の側近が、失脚した青山副社長と小澤常務だ。爽やかなイメージがあるホンダだが、内実は目を覆う有様だ。