報復関税の応酬で貿易戦争激化は必至。剥き出しの国益追求という国家の本能、「トランプ的なるもの」にどう向き合うか。
2025年5月号
POLITICS [国家の本能]
by 園田耕司(朝日新聞政治部次長(元ワシントン特派員))
前代未聞の相互関税を打ち出した演説会(ホワイトハウス配信動画より)
後世の歴史家たちは、この日のトランプ米大統領の演説を「ポスト冷戦」の世界を形づくった「アメリカ一極体制」という世界システムの完全な終焉を象徴する、最も重大な出来事だったと振り返るかもしれない。
4月2日、米ホワイトハウスの庭園ローズガーデン。前代未聞の大規模関税発表のため、記者会見場に姿を現したトランプ米大統領の左手には、「MAGA」ハットが握られていた。演説台の前に立ったトランプ氏は「今日が、長い間待っていた『解放の日』だ」と両手を広げ、こう言った。
「2025年4月2日は、米国の産業がよみがえり、米国の収奪されてきたものが取り戻され、そして米国が再び豊かになり始めた日として、永遠に記憶されることになるだろう」
その瞬間、会場に招待されていたトランプ支持者たちは大歓声を上げた。自分たち米国人労働者たちの犠牲のうえに富を蓄積してきた外国の国々は罰せられるべきだと考えてきたトランプ支持者たち。その深い怨念と激しい憤りがついに「トランプ関税」に姿を変え、世界を揺さぶることになったのだ。
世界はトランプ氏のディール(取引)外交に翻弄されている。9日には、2日に発表した相互関税の税率の一部の適用を90日間にわたって停止することを表明。一方、報復措置を決めた中国に対しては税率を125%まで引き上げることも明らかにした。
ワシントンで長らく通商政策に携わってきた元米商務省高官は、筆者に「これから大変な時代が始まる」と語った。「我々は政治とは国民に対するサービスの提供だと考えてきた。しかし、トランプ氏は、政治とはディールだととらえている。彼の政治のとらえ方は我々のものとは根本的に違う」
世界を混乱の渦に巻き込むトランプ関税だが、トランプ氏の掲げる目標は極めて明確だ。米国内の雇用を増やし、米国の繁栄を取り戻すというものだ。これは米国の抱える貿易赤字が全ての「悪の元凶」だと考える、トランプ氏や彼のブレーンたちの独特の経済理論に基づく。
米大統領上級顧問のピーター・ナバロ氏製作のドキュメンタリー映画『Death By China』を見ると、この理論は分かりやすい。映画では、米国人労働者の「雇用」と米国の「貿易赤字」は反比例の関係にあると解説されている。イメージ図では、「雇用」という文字が書かれたボールが縮めば「貿易赤字」のボールが膨らみ、逆に「雇用」が膨らめば、「貿易赤字」が縮むという関係が描かれている。つまり、トランプ氏は外国製品に高関税をかけることで価格をつり上げれば、人件費の高さや競争力の劣る米国製品を米国内でもっと売れるようになり、その結果、米国の抱える貿易赤字は削減され、米国の雇用も増えると信じているのだ。
上記の目標を達成するため、トランプ関税には二つの戦略がある。
一つ目が、トランプ関税に嫌気がさした企業が海外の工場にアウトソーシングしてきた高付加価値の産業を米国内に移転することで、米国内産業を再活性化させるというもの。「米国内製造業の復活」を目指す長期的な戦略と言える。二つ目が、トランプ関税を交渉材料に、二国間ディールに持ち込み、相手国の関税引き下げや非関税障壁撤廃を実現させるという戦略だ。高関税を課された相手国は、トランプ関税で自国の経済に深刻な打撃が出る以上、関税措置をやめてもらう代わりに何らかの提案を携えてトランプ氏に頭を下げてくることになる。こうしたディールを成功させて米国に有利な貿易協定を結べば、米国製品は相手国でもっと売れるようになり、米国の貿易赤字も減って米国内の雇用も増えるというわけだ。
ただし、トランプ関税の戦略には次の二つの重大な懸念がある。
第1の懸念は、「米国内製造業の復活」を目指すにしても、その実現には多大な時間と苦痛を要するという問題だ。海外にアウトソーシングしてきた高付加価値の製造業を米国内に取り戻すということは、長年にわたって自由貿易体制に強く依存してきた米国内の産業構造を大転換させることにほかならない。米国内での新たな工場建設や人材確保も含め、海外から移転してきた製造業が米国内で安定ビジネスとして軌道に乗るまでには数年、いや十数年、数十年間を要す可能性があるだろう。その間、高関税によって輸入品の値段は上がっているわけだから、米国内はさらなるインフレに苦しみ、長期的に景気が後退する可能性がある。
第2の懸念だが、トランプ氏の仕掛ける他国へのディールは果たしてうまく事が運ぶのか、という点である。トランプ氏は高関税を取引材料に二国間ディールを行うことにやる気満々だ。演説翌日の3日、記者団に「関税は我々に交渉という偉大なパワーを与えた」と豪語し、もし相手国が「とても驚異的なもの(something that’s so phenomenal)」を米側に差し出すという提案をしてくれば、その相手国と関税削減に向けて前向きに交渉に応じる意向を示した。前出の元米商務省高官も「トランプ氏は、各国が自分のもとに続々と駆け寄ってくることを想定しているだろう」と語る。
ただ、これはあくまでも米国の同盟国・友好国が相手ならば通用する話であり、トランプ氏が最大の標的として狙いを定めている中国相手には難しい。同盟国・友好国相手であれば、米国は「米国の安全保障関係における優位性」というレバレッジ(テコの力)を利用し、貿易交渉においても同盟国・友好国を米国の要求のもとに屈服させることができる力をもつ。しかし、同盟国・友好国ではない中国には、このレバレッジは通用しない。現に中国はトランプ関税の発表から即座に、米国からのすべての輸入品に34%の追加関税を課すという報復措置を発表し、徹底抗戦の構えを見せる。トランプ政権は、米国に対して安全保障上の弱みをもたない中国に、貿易戦争で正面からぶつかっていくことになり、トランプ氏が望むような実利を得ることが出来るかは不透明だ。
とはいえ、トランプ氏は関税を自らの有力な武器として使うことをやめないだろう。トランプ氏がニューヨークの不動産王当時の1987年に著した自伝『Trump: The Art of the Deal (邦訳:トランプ自伝)』によれば、同氏の信条は「不公平な扱いや不法な処遇を受けた時には徹底的に戦う」というものだ。そんなトランプ氏が、中国の報復関税に膝を屈するのは考えづらい。トランプ関税をめぐる報復の連鎖によって中国との貿易戦争は激化の一途をたどり、米中間の経済デカップリングが進んでいくことになるだろう。
一方、24%の相互関税はいったん停止となったものの、一律10%の関税、25%の自動車関税を上乗せされることになった日本。トランプ関税は「国難」(石破茂首相)と言われるにふさわしい破壊力を持ち、とくに日本経済を牽引してきた自動車を筆頭とする製造業には深刻な影響を与えることになるだろう。トランプ氏と個人的な信頼関係のあった安倍晋三元首相であれば、今回の高関税を回避できたのでは、という見方もある。しかし、トランプ政権の関税措置をめぐる基本的なスタンスは「貿易に関しては、米国に友人はいない。(外国の国々はすべて)米国の市場を搾取しようとしている」(ナバロ上級顧問)という強硬なもの。第1次政権をはるかに上回る今回の関税措置の規模とトランプ氏の強気の姿勢を考えれば、仮に安倍氏が首相の座にあっても、日本を一連のトランプ関税から除外できた可能性は極めて低かっただろう。
対日交渉の米側責任者であるベッセント米財務長官によると、米国に次々と交渉を依頼している各国の中で、米国はまず日本と優先的に交渉するという。
石破政権の直面する最大の悩みは、今後の日米交渉で、高関税措置を中止してもらう代わりにどのような「とても驚異的なもの」(トランプ氏)を米側に差し出すのかという点に絞られるだろう。
安倍政権当時を振り返れば、トランプ氏はまず自動車関税をちらつかせて日本側を揺さぶり、貿易交渉入りで合意。交渉の最中に、トランプ氏は日米安保条約に「不公平な条約だ」と不満を表明して圧力をかけ続けた。最終的に、日本側は牛肉や豚肉など米国産農産物への関税をTPP加盟国並みに引き下げることに応じ、それと同時並行で米国製の最新鋭ステルス戦闘機F35を追加で105機調達。トランプ氏の「バイ・アメリカン」政策を大きく後押しした。日本側がこれだけの規模のものを米側に差し出しつつ、安倍氏はトランプ氏をノーベル平和賞候補として推薦するなど、トランプ氏のご機嫌取りをして何とか日米関係の安定に努めた。日米関係に詳しい元外務省幹部は、「安倍氏は、トランプ氏の米国第一主義の標的に日本がならないように、トランプ氏の要求をひたすらしのぐことに徹してこられた」と語る。
どこまでも「しのぐ外交」(首相官邸HPより)
石破政権の置かれている状況は、安倍政権当時よりもさらに厳しいものであるのは間違いない。自動車関税はすでに発動されており、いったん打ち出されてしまったトランプ関税を押し戻してゼロにするには、安倍政権以上に大きな規模のものを米側に差し出さなければいけない、というゲームの構図が出来上がっているともいえる。トランプ氏は前述の自著で、自身のディール術にとって重要なのは、相手に対する優位性というレバレッジを使うことだと語っている。トランプ氏は2期目の就任後すでに日米安保への不満を口にしているように、これから本格的に始まる日米貿易交渉においても1期目と同様に、日本に「米国の安全保障関係における優位性」というレバレッジを陰に陽に使うだろう。
トランプ氏は7日の石破首相との電話協議後、自身のSNSへの投稿で「彼ら(日本)は貿易面で米国をひどく粗末に扱ってきた。彼らは我々の車を受け入れないが、我々は彼らの何百万台もの車を受け入れている。農業やその他の多くの産品についても同様だ」と不満をあらわにした。トランプ氏が今後、日本に対してどのような具体的な要求を念頭においているかは不透明だ。米国との交渉を担当する赤沢亮正経済再生相が近く渡米し、ベッセント氏と協議することで、その大まかな方向性は見えてくるだろう。いずれにせよ、はっきり言えるのは、石破政権は、安倍政権以上に「しのぐ」外交をトランプ氏相手に行わなければいけなくなるということだ。
一方で、私たちは眼前に出現した「トランプ2.0」の世界を、単なるトランプ氏の任期の4年間という物差しではなく、米外交をめぐる歴史的なスパンで見ていく必要があるだろう。
米国の外交はモンロー宣言に見られるような孤立主義、一方で国際連盟を提唱したウィルソン大統領に見られるような国際主義という二つの潮流が激しくぶつかり合うことで形成されてきた。米国はライバルのソ連が崩壊したのちの「ポスト冷戦」の世界で、唯一の超大国として世界のリーダーであり続けるという「アメリカ一極体制」を築き上げた。しかし、01年の米同時多発テロをきっかけとした一連の対テロ戦争を通じ、米国は人的・経済的に大きな犠牲を出し、疲弊した米国社会では「米国大統領は他国の支援よりも内政に集中するべきだ」という風潮が強まっていった。
「雇用」と書かれたボールを呑み込む中国(『Death by China』より)
さらに、対テロ戦争とほぼ同時期に、米国人労働者はグローバリゼーションの大波に襲われた。中国が01年に世界貿易機関(WTO)に加盟して以来、多くの米企業が安い労働力を求めて中国へと工場移転を加速。自由貿易制度は米国に経済的繁栄をもたらしたぶん、経済格差も生み出し、繁栄に取り残されたと感じた地方の米国人労働者たちは、ワシントン政治に深い怨念と激しい怒りを募らせた。
そこに登場したのがトランプ氏だった。そのトランプ氏は「ヘドロをかき出せ」と訴え、ワシントン政治はもとより、国内外の既存秩序を徹底的に破壊しようとしている。つまり、いま世界秩序を変えつつある原動力は、トランプ氏個人の存在よりも、それを生み出す米国民の民意の方が大きい。孤立主義と国際主義の相克の中、今は「内向き志向」という長期的な局面に入った米国において、トランプ氏の誕生は必然の結果だった。仮にトランプ氏が大統領になっていなくても、「トランプ的なるもの」「アメリカ・ファースト的なるもの」は当然生まれていたし、これからもそれは長期間にわたって続いていくことになるだろう。
こう考えていくと、「トランプ2.0」の世界は、これからの日本の将来像を考えていくうえで大きな好機と捉えることもできるだろう。トランプ政権下の米国は、ワシントンの政策エリートのような洗練さがないぶん、ウクライナへの重要鉱物資源の要求に見られるように、むきだしの国益追求という国家の本能をさらけだしている。「我々には永遠の同盟国はないし、永遠の敵国もいない。我々の国益は永遠であり、我々はこれらの国益に従う義務がある」という19世紀の英首相パーマストンの言葉が示すように、いくら関係の緊密な同盟国同士であっても、国益が異なるのは当然だ。
国家の本能とは他国などお構いなしに、自国の国益を最優先で追求するものだという冷徹な事実もまた、私たちは理解する必要がある。もちろん、現実的には、ミドルパワーの日本の経済・軍事力は限られているゆえ、超大国・米国をパートナーとする日米同盟が日本外交の基軸であり続けることは当面変わらないだろう。
しかし、米国の長期的な「内向き志向」を念頭に、欧州や東南アジアの同志国との連携や、自主防衛力の向上など新たな模索はすでに始まっている。地政学的なリスクを軽減させるためにも隣国・中国との対話はますます不可欠なものとなるだろうし、日中韓の経済的な結びつきもさらに重要性を帯びてくるだろう。
「アメリカ一極体制」が終焉し、既存の国際秩序がより不安定化する「多極体制」へと移行する中、日本をこれからどのような自律的な国家として構築していくか、新たなグランドデザインを描き出す時代に入ったともいえるだろう。